はなしのたね。2016.vol.19
1:「安全太郎」のはなし。
 彼の名は「安全太郎」。身長185cm、体重35kgの超スリム体型。1970年生まれの46歳。不惑を過ぎ、雨の日も風の日もただひたすら自らの使命を全うするその姿は、すべての男たちの憧れである―――と、いうことで、皆さんも工事現場などで一心不乱に旗を振る人型ロボットを目にしたことがあるでしょう。その彼が「安全太郎」、今日もどこかで旗を振り続けています。
 道路工事現場、特に高速道路で人間が旗を振る行為は、誰が想像しても大変危険です。安全太郎が生まれた1970年は大阪万博が開かれた年。その前年に東名高速道路が開通しており、高速道路の時代が本格的に幕を開けた時期でした。当時の日本道路公団は深刻な問題に直面していました。高速道路上で、ドライバーに注意を促すために旗を振る作業員が車にはねられる事故が相次いだのです。そこで公団が、愛知県春日井市で道路設備業を営んでいた土居万里雄(まりお)さんに依頼し、誕生したのが安全太郎でした。
 開発された当初は百貨店のマネキンを利用していたそうですが、あまりにハンサムでスタイリッシュ過ぎたため工事現場の雰囲気に合わず、現在のような体型になったといいます。安全太郎の胴体や腕のパーツなどは量産されていますが、顔の部分だけは何と一つ一つが手作り。メイクも施され、彼らは一体一体がそれぞれ個性を持っているのです。安全太郎の現在の特許を持っているトクデンコスモ株式会社(名古屋市)によると、不景気もあって新規の生産受注こそ減っているものの、今でも修理の依頼は絶えず年間30体という年もあるといいます。中には20年以上、現場に立ち続けている安全太郎もいます。また、トクデンコスモさんには時折「自分の家の駐車場に置きたい」「子どもが欲しがっている」という一般の方からの問合せまであるんだとか。安全太郎は「信頼と実績」を持つ、愛され男なのです。
 ドライバーは運転中、人間に似ているものに一番目を引かれます。どんなに電光掲示板やLED表示板が発達しても、工事現場から安全太郎の姿が消えることはないでしょう。安全太郎の産みの親である土居さんは、とても器用だったけれどお人よしで商売下手だったそうです。最後は安全太郎の利権もすべて手放してしまい、2004年に亡くなっています。安全太郎がここまで大活躍し子どもたちにまで愛される存在になったのは、ただ単に「人の形をしたロボットだから」ということでなく、土居さんの人のよさや人間らしさが、安全太郎に乗り移っているからかもしれません。
 彼の名は「安全太郎」。今日もどこかで、そしてこれからもずっとどこかで、旗を振り続けます。(N)

2:「アタマの体操・シケパ(脳トレ編)」
人間、読み書き算盤が肝心。脳を活性化しアンチエイジングに最適です。お役立て下さい。

【問題】
①これ、どこ?
②次のうち、仲間外れはどれ?
③マッチ棒でできた式、1本動かして式を完成させてください

3:ハナタネ寄席
★マムシが家に出たから聞いてやったんだ。「お前オレを噛む気だろ?噛む気なんだな?え? どこを噛む気だ?腕か?太腿か?」ってな。 そしたらマムシのやつが言ったよ。 「すねいく」
4: 
前回の答え
①い(十二星座の頭文字、いて座の「い」)
②樋(お札の肖像画の人物)
③56-19=37