はなしのたね。2016.vol.21
1:「県庁所在地」のはなし。
 舛添前・東京都知事がずいぶんと世間を騒がせましたが、その舛添さんが主に仕事をしていた湯河原の別荘・・・ではなく東京都庁の所在地はもちろん東京23区内(新宿区)です。ですが紛らわしいことに、日本の都道府県で県庁所在地が県名と違うところが18もあります。北海道、岩手県、宮城県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、山梨県、石川県、愛知県、三重県、滋賀県、兵庫県、島根県、香川県、愛媛県、沖縄県、の18個。(埼玉県は2001年に合併で浦和市からさいたま市に変わっています)いま挙げた18個、県庁所在地をスラスラと言えない方も意外と多いのではないでしょうか。なぜこんなことになったのかと言いますと、実はけっこうしょうもないというか、子供か?とツッコミたくなるような理由だったりします。
 都道府県制が敷かれたのはご存知の通り明治維新以降。このとき、「明治新政府に抵抗した藩の名は県名にしないもん!」と、政府は激おこぷんぷん丸していたのです。これにより、仙台藩→宮城県、盛岡藩→岩手県、加賀藩→石川県、高松藩→香川県、松山藩→愛媛県、などということになったのです。さらに激おこ状態の明治政府は自分たちの気に入らない名前を変えさせます。江戸(旧幕府)→東京、尾張(御三家)→名古屋市といった具合です。さらにさらに、ムカ着火ファイヤーな明治政府は、「どんなに大きな街であっても、ボクちんの気に入らない市には県庁を置かない!」と言い出します。滋賀県ではそれまで政治・経済の中心だった彦根が幕府ゆかりの地だとして、彦根から最も遠い大津に県庁が置かれました。福島県では最大だった会津藩が、戊辰戦争で政府軍と対立したため、会津よりはるかに小さかった福島藩に県庁を置いています。福島県の場合はそのおかげで県名と県庁所在地名が同じになったわけですが。
 ちなみに明治政府の口調はフィクションです、念のため。と、いうことで結局は好き嫌いだったわけです。逆に明治新政府に貢献したところは、そのまま県名にし県庁もそこに置かれています。山口県→長州藩の正式名称は山口藩、鹿児島県→薩摩藩の正式名称は鹿児島藩、高知県→土佐藩の正式名称は高知藩、などです。
 名前はともかく、県庁所在地を小さな市に置いた場合は、その後の県政に少なからず影響があると思われます。その県の文化や教育の発信源である県庁所在地の人口が少なかったり、経済が発展していなかったりすると、それはそのまま県の勢いに反映するからです。昨今のような経済下降、人口減少時には、県庁と大きな街が離れていることによる負担はさらに増すぞえ!―――強引な締め方ですみません・・・。以上です。(N)

2:「アタマの体操・シケパ(脳トレ編)」
人間、読み書き算盤が肝心。脳を活性化しアンチエイジングに最適です。お役立て下さい。

【問題】
①下の3つの漢字を使ってできる二字熟語は?
②これ、どこ?
③マッチ棒でできた式。1本動かして、式を完成させてください

3:ハナタネ寄席
★A「おいB!C!大変だ、ゾンビが来るぞ!逃げろ!」全員それぞれの車に乗り込む。
A「くそっ!中国製だから壊れてやがる!」
B「くそっ!アメリカ製だから燃費が悪くてまともにガソリンが残ってない!」
C「くそっ!日本製だから目の前にゾンビが居るとアイサイトで止まってしまう!」

4: 
前回の答え
①デジカメ(で字カメ)
②夫の横に「人」の文字を作って夫人
③4(沖縄、九州、四国、本州、北海道)