はなしのたね。2017.vol.24
1:「和泉式部」のはなし。
 清少納言と紫式部。平安時代を代表する女性歌人であり、ほとんどの方がその名を聞いたことがあるでしょう。しかし平安時代には、忘れちゃいけないもう一人の天才女性歌人がいました。それが「和泉式部」です。
 和泉式部は「恋の歌人」と言われます。恋愛にまつわる歌を多く詠んだためにそう呼ばれるのですが、当然それだけ恋多き女でありました。当時の公卿・藤原道長から「うかれ女」と言われちゃったり、紫式部から「和歌や文才は認めるが男性関係にだらしなさすぎる」と悪口を言われちゃったりしています。実際、彼女が残した「和泉式部日記」にはこんな記述があります。『ああ、この人のこと気になって夜も眠れないけど、身分違いだしどうしようもないわ、私。ここは私から身を引くべきなんだけど、強引に迫られて私とっても困っちゃう。ちょっと心配させるために、比叡山に行って尼になる、とか言ってみようかな。』―――そして本当に比叡山に行っちゃったりしてます。そりゃあ男からしたら好きになった女が「ちょっと比叡山 行ってくる」とか言い出したら「おいちょっと待て、どうした?」となるに決まってます。男心を巧みに突いてくる、かなりの「かまってちゃん」だったわけです。
 それでも歌人としては超一流。その歌は百人一首にも選ばれています。『あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢うこともがな』(もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世への思い出に、今もう一度だけお会いしたいものです)―――病の床に伏した状況で詠まれたこの歌。ここまでの想いを馳せた相手は誰なのか・・・きっと彼女は一つ一つの恋に全力投球だったのでしょう。
ちなみにこれはけっこう有名ですが、紫式部は清少納言の悪口も言っていて「何か得意顔で知識ひけらかしてデキる女ぶってっけど、アンタ意外と漢字とか間違ってっから!」と紫式部日記の中で書いています。こうして見ると、相手を誹謗中傷することで注目を集める、今で言うところの「炎上商法」みたいなものが当時にもあったのかもしれません。
 清少納言、紫式部、和泉式部の3人を現代風に評するとこんな感じです。清少納言 → 男社会の中でもバリバリやる、キャリアウーマンタイプ。 紫式部 → 人付き合いがあまり得意でなく、影でコソコソが多い腐女子タイプ。 和泉式部 → 八方美人で異性を惑わす、放っておけない小悪魔タイプ。 いつの時代も結局そうなんですが、一番モテるのはやっぱり和泉式部タイプなんですよね。私もここまで書いていて、和泉式部に対する表現が甘めなことに気付きました。男ってそんなもんなので、気になる男性がいる女子の皆さん、早速その人にこうLINEしてみましょう―――「ちょっと比叡山 行ってくる」(N)

2:「アタマの体操・シケパ(脳トレ編)」
~脳を活性化しアンチエイジングに最適です。お役立て下さい。~

【問題】
①「?」に入る言葉は何?
②これ、何と読む?
③この創作漢字、何と読む?

3:ハナタネ寄席
★美人な女性は事故が多いと、免許更新の時の講師が冗談で語ってた。子供の頃から日常生活で周囲の人が道を譲ってくれたり何かと気配りをされて育つので、無意識下で相手が自然と避けてくれるものと錯覚するらしい。
4: 
前回の答え
①黄金(王と黄の“おう”2つ)
②挨拶(Oじょ、→Qじょのようにアルファベットを数字分 進める)
③ろくろ首